今回ね、書いたブログのコメントに「押し付けがましい」というものがあったから、本当のところどうなのだろう?と振り返ってみたし、また私がどうコメントするのかもしかしたら待っている人達もいると思うのでそのまま放置しておけない衝動にかられ色々考えてみたことを書くよ。
まず、このようなコメントをしてくれる人にも感謝したい。何故なら「絶対」はないからね。
ただ、私がこのような場で文章を公表するということはそれなりに強い信念があって投げかけていることも多々あるから、逆にこのような否定的なコメントは当然、付きものだ。私のコメントは
「当たり障りがない文章か否か?」って振り分けたとき、勿論、大いに当たり障りがありすぎるとおもうからね(笑)
ただ今回の私達のブログに対してのコメントは建設的であるとも受け取れるんだ。何故なら「押し付け」という言葉に反応し考えるからだよ。
「ああしなさい、こうしなさい」という一般的に言われている所謂「教育ママ」を連想させ、子供の自由、発想を奪ってしまうという結末があるけれど、そのように感じとられているなら、ここでその「考え」ではなくそのようなことを思わせる「文章の書き方」に問題があるのでは?
を考えたいと思っている。
実際に、私からアドバイスを受けている若者達が少なからず今も過去もいるから何も自分の不備に気づかずにただ突っ走っていても成長はないし、1番は若者達が被害者になってしまう恐れもあるからだ。
だから建設的なありがたい否定と受け取れるものなんだ。
ということで、コメントを貰った中でどうしてもこの場でそれについて返答をしておかなくてはならないことを以下の記させて貰った。
●「色々な選手がいる中」
私の言いたかったことは、個性というものに触れ、否定するというもので一切なくむしろ180
度反対な考え。ここで書いているのは「道徳的」な問題。
仲間が問題の当事者に対して真剣に意見をぶつけている最中に、ストレッチやふんずり返って話をしますか?という根本的な姿勢の問題。真剣な人間に対して真剣に受け止めていないのですよ?
それは失礼なこと、仲間に対しての尊重心がないという態度なのです。
それを「色々な選手がいるんだから・・・」というのは、当然色々な人間が世の中にはいる。しかし、尊重心、謙虚心というものは人間が生涯の中で限りなく勉強していく中の1つであり、個性とは別だとは思わないかな?そのような世界が一般的にもあり、そのグループでなんの議論もない場合、却って怖いですよね。陰でいうなら、その態度に対して隠し事無くストレートにぶつけて見るべきですよ。そのほうがよっぽどクリヤーだよ。
●「全体的にすごく範囲を狭めている」
同感、ただ決して狭めてはいないよ。
まさに型外れでいいんだな。型はずれで。その方が選手になって行く可能性が高いからね特に日本では育ちにくいFWに向いているから丁度いいの。いつも選手達に言っている、ただお利口なだけではグランドでいいパフォーマンスはできないとね。
例えば、つっぱり君でいい、しかしつっぱるのなら、とことんつっぱり猛者が集まる場所に行き結果を出すことだ。
内輪でつっぱっても、外でもつっぱりを貫き通せなかったら本当の男とはいえないよ。だからつっぱることって意外に大変だ。
大人しくてもいい、うるさくてもいい、優しくてもいい、なんでもいいの。ただ、それは真剣勝負になった時に闘えて、結果が出せればね。
前置きするけれど、これは当然プロという険しい世界を目指したいという若者が実際にいるという前提で話をしているということも忘れないで欲しい。一般的にはその方が人間らしいのかも知れないね。
●「ここのブログに当てはまらないと選手としても人間としてもどうなんだ?というように投げかけているように感じる」
これは1番否定させて貰いたい言葉だよ。決して「お利口さん」「従いロボット」を育てる必要はない。
むしろ、逆だよ。
●「奮起できない選手。それでもいいではないですか」
経過的にはね。見守るという意味で。「奮起できない選手」=「人間として否定」?
このようなことを感じさせてしまう文章だったのかな?
しかし実際はそれはイコールには当然ならないし、そんなことは全く考えてない。
「奮起できない選手」そんな時は年間300日ぐらい毎日トレーニング繰り返していれば誰にでもある。
そんな場面もある。ただね、プロを目指しているという前提なんだよ。たとえどんなレベルであっても自分の限界に挑戦したいという人間にはまず尊重。それを前提に一度、二度なら目をつぶる。
しかし三度、四度も奮起しない姿を見て、一緒に汗を掻いて厳しい状況になっているのを何も感じない奴を「それでもいいのでは?」で片付けられるなら、チームなんていらないよ。グループで何かを達成するなんていう社会も必要ないのではないかな?だから「成長の経過」であり未完成であるのに要求が強いというならまだ理解できるが、周囲の動き、奮闘に何も感じない奴がどうやって厳しい世界で通用するのということなんだな。
●「それを人間としての否定をされてしまうと、その選手はそれをトラウマとして捕らえる事となるかもしれません。」
それは大丈夫。そのような考えはないから。
●「ここのブログの文章には押し付けが多いように見受けられましたので」
結論、「押し付け」ではなく「方向付け」要は、プロというものがどのようなものなのかは歴史が浅い日本にとって断片的な情報しかなく、具体的にどうなって世界レベルになっているかという情報がないから、
最低限、姿勢として持っていなくてはならない世界を事前に伝えてきているだけ。
「それでよし」と思い込んで、電車を乗り損ねてしまったら、プロというものは夢だけの世界。
あと、最後にあくまでも「プロ」というものを私から「押し付けている」のではなく、若者自らが強く思っていることに関して少しばかり、アドバイスできたらという信念でやっているだけなのです。
ただ本当にありがとう。振り返って考えることができました。


決してこれでOKということはないですが、実際にここのやり方でプロ選手が出てくるとは思えませんね。
頑張ってください。
あまり他人を否定的に見るのは良くないですよ〜 いろんな生き方、考え方あって普通だと思います。 サッカー関係者か何か知りませんが、他人を愚弄したり批判したりばかりのあなたこそ 頑張りなさい!
そもそもあなたは何者?
否定的なコメントを残すということは
それなりの理由があるはず
あなたは何者で何を達成したくて生きているのかな??
他人に厳しいならば、それ以上に自分を律して生活できているのでしょうね。
あなたはフットボールの世界において何をしたいか述べなさい
述べれなければ退場しなさい
おわかり??
私は某大学でアスリート養成に携わっているものです。
これまでにJリーガーを含め、オリンピック出場者を数名手掛けて参りました。
これまでに数千人というアスリートを見てきた中での意見です。
スポーツ指導者だったのですね、少し残念です。 なぜ? オリンピック選手数名手掛けるの表現から受け取れるのは一種目だけのスペシャリストを作り上げるあえて言うならロボット製造
大学での指導はあちこちから強い人材を引っ張りさらに強い人材に育てていく事だけが第一の目的のようになってしまい、新聞紙上でテレビで耳を疑いたくなる、大学スポーツ部の不祥事の数々残念でなりません、私が思うにはCOJBは人材ではなく
人財(人は宝)を育てながら個人の目的を達成させようとしているのだと感じるのですがどうでしょう?
非常に素晴らしいのですが、それだけのご経験がありながら、たまたまなのか、いつもなのか理解は定かではないのですが、このようなブログにコメントを載せるにあたり、最初のコメントで既に貴方のご経験の気品、価値というものが落ちてしまっているように思います。
それは、数々の経験をしている人間はそう簡単にあのようなコメントからは入らないですよ。
そのチーム、指導者の本質を読み取らない前に軽率にコメントをするということは控える、むしろ「そうではないのだけれど、この辺りも協会など全体を通して講習会など様々な伝達方法を使い伝えていかないと」というもっと幅広い精神にかられ、その辺の通りすがりのようなコメントは残さないはずです。
例えば、子供の頃からエリート、そのエリートがそのままアスリートを養成するスペシャリストとなった者がそうでない人間達に対して目線を下げて話をしている。こんな印象を今受けていますが。
いずれにしましても貴方がそのような関係の人であれば、互いにものの本質を理解していないまま、このプログであげ足を取り合ってもレベル低いものになりますからコメントを止め、顔を見て話をした方が賢明と思われます。
残念ながら、いや却って面白いことに私達の元に来てくれる選手達はちまたで言われるエリートとか天才ではなく、個々のレベルもマチマチです。
その若者達もさまざまなエリートの選考からはもれても目標を持ち、私生活面からもアスリートになって行くための人間性なども平行して個々の出来る限りで己で感じ取り短い期間にも成長と成果も少しずつ己で実感しているところです。
この若者達が本当にアスリートになることができれば素晴らしい。しかし、厳しい、ほんのひと握り、いや指数本でもそれに近付くことができれば、お墨付きでなくても「やればできる」という全ての若者達の励みになっていくものだと思います。
己の可能性を知らず、また周囲が「お前は駄目、無理、やめろ」と勝手に若者の夢、目標を否定し可能性を消してしまう傾向も珍しくないと思うのです。
アスリートに到達しなくても社会のアスリートになって、日本を背負って立てるような逞しさを私達の場合はたまたまサッカーというスポーツに置き換えているものです。そういった意味では「人財」を育成を目指していると言っても過言ではありません。
ものの本質を謳うには説明不足ですがご理解下さい。