2008年04月21日

「押し付け」か?

今回ね、書いたブログのコメントに「押し付けがましい」というものがあったから、本当のところどうなのだろう?と振り返ってみたし、また私がどうコメントするのかもしかしたら待っている人達もいると思うのでそのまま放置しておけない衝動にかられ色々考えてみたことを書くよ。

まず、このようなコメントをしてくれる人にも感謝したい。何故なら「絶対」はないからね。
ただ、私がこのような場で文章を公表するということはそれなりに強い信念があって投げかけていることも多々あるから、逆にこのような否定的なコメントは当然、付きものだ。私のコメントは
「当たり障りがない文章か否か?」って振り分けたとき、勿論、大いに当たり障りがありすぎるとおもうからね(笑)

ただ今回の私達のブログに対してのコメントは建設的であるとも受け取れるんだ。何故なら「押し付け」という言葉に反応し考えるからだよ。
「ああしなさい、こうしなさい」という一般的に言われている所謂「教育ママ」を連想させ、子供の自由、発想を奪ってしまうという結末があるけれど、そのように感じとられているなら、ここでその「考え」ではなくそのようなことを思わせる「文章の書き方」に問題があるのでは?
を考えたいと思っている。

実際に、私からアドバイスを受けている若者達が少なからず今も過去もいるから何も自分の不備に気づかずにただ突っ走っていても成長はないし、1番は若者達が被害者になってしまう恐れもあるからだ。
だから建設的なありがたい否定と受け取れるものなんだ。
ということで、コメントを貰った中でどうしてもこの場でそれについて返答をしておかなくてはならないことを以下の記させて貰った。

●「色々な選手がいる中」
私の言いたかったことは、個性というものに触れ、否定するというもので一切なくむしろ180
度反対な考え。ここで書いているのは「道徳的」な問題。
仲間が問題の当事者に対して真剣に意見をぶつけている最中に、ストレッチやふんずり返って話をしますか?という根本的な姿勢の問題。真剣な人間に対して真剣に受け止めていないのですよ?

それは失礼なこと、仲間に対しての尊重心がないという態度なのです。
それを「色々な選手がいるんだから・・・」というのは、当然色々な人間が世の中にはいる。しかし、尊重心、謙虚心というものは人間が生涯の中で限りなく勉強していく中の1つであり、個性とは別だとは思わないかな?そのような世界が一般的にもあり、そのグループでなんの議論もない場合、却って怖いですよね。陰でいうなら、その態度に対して隠し事無くストレートにぶつけて見るべきですよ。そのほうがよっぽどクリヤーだよ。

●「全体的にすごく範囲を狭めている」
同感、ただ決して狭めてはいないよ。
まさに型外れでいいんだな。型はずれで。その方が選手になって行く可能性が高いからね特に日本では育ちにくいFWに向いているから丁度いいの。いつも選手達に言っている、ただお利口なだけではグランドでいいパフォーマンスはできないとね。

例えば、つっぱり君でいい、しかしつっぱるのなら、とことんつっぱり猛者が集まる場所に行き結果を出すことだ。
内輪でつっぱっても、外でもつっぱりを貫き通せなかったら本当の男とはいえないよ。だからつっぱることって意外に大変だ。
大人しくてもいい、うるさくてもいい、優しくてもいい、なんでもいいの。ただ、それは真剣勝負になった時に闘えて、結果が出せればね。

前置きするけれど、これは当然プロという険しい世界を目指したいという若者が実際にいるという前提で話をしているということも忘れないで欲しい。一般的にはその方が人間らしいのかも知れないね。

●「ここのブログに当てはまらないと選手としても人間としてもどうなんだ?というように投げかけているように感じる」
これは1番否定させて貰いたい言葉だよ。決して「お利口さん」「従いロボット」を育てる必要はない。
むしろ、逆だよ。

●「奮起できない選手。それでもいいではないですか」
経過的にはね。見守るという意味で。「奮起できない選手」=「人間として否定」?
このようなことを感じさせてしまう文章だったのかな?
しかし実際はそれはイコールには当然ならないし、そんなことは全く考えてない。

「奮起できない選手」そんな時は年間300日ぐらい毎日トレーニング繰り返していれば誰にでもある。
そんな場面もある。ただね、プロを目指しているという前提なんだよ。たとえどんなレベルであっても自分の限界に挑戦したいという人間にはまず尊重。それを前提に一度、二度なら目をつぶる。
しかし三度、四度も奮起しない姿を見て、一緒に汗を掻いて厳しい状況になっているのを何も感じない奴を「それでもいいのでは?」で片付けられるなら、チームなんていらないよ。グループで何かを達成するなんていう社会も必要ないのではないかな?だから「成長の経過」であり未完成であるのに要求が強いというならまだ理解できるが、周囲の動き、奮闘に何も感じない奴がどうやって厳しい世界で通用するのということなんだな。

●「それを人間としての否定をされてしまうと、その選手はそれをトラウマとして捕らえる事となるかもしれません。」
それは大丈夫。そのような考えはないから。

●「ここのブログの文章には押し付けが多いように見受けられましたので」

結論、「押し付け」ではなく「方向付け」要は、プロというものがどのようなものなのかは歴史が浅い日本にとって断片的な情報しかなく、具体的にどうなって世界レベルになっているかという情報がないから、
最低限、姿勢として持っていなくてはならない世界を事前に伝えてきているだけ。
「それでよし」と思い込んで、電車を乗り損ねてしまったら、プロというものは夢だけの世界。
あと、最後にあくまでも「プロ」というものを私から「押し付けている」のではなく、若者自らが強く思っていることに関して少しばかり、アドバイスできたらという信念でやっているだけなのです。

ただ本当にありがとう。振り返って考えることができました。
posted by FCCOJB at 18:25| Comment(7) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自己分析

今日のトップチームの練習はグランドではなく、スポーツセンターの研修室に集って実施。
行った内容はミーティングではなく、自己分析。自己分析といってもそんな大袈裟なものではなく、自分の性格や課題などをそれぞれ書いてもらった。

どんな結果が出るかはこれからだが、非常に効果が期待できそうだ。簡単に書いてもらったものを見る限りでも、今後に役立つ内容が記載されている。

今回は「自己分析」として行ったが、今後の発展系としては、チームメイトの分析をするのも面白いだろう。
サッカーの技術練習だけを日々繰り返し行っても、ポイントがずれていれば結果として現れないし、無駄な時間を多く過ごす事になる。

学校の勉強もそうだが、サッカーにも人生にも個々にあったポイントがあり、ポイントを改善、伸ばして行くことも非常に楽しいもの。
自分が一回りも二回りも成長していくためには、良くも悪くもポイントを知ること、自分自身で認識することも大事。

そういった意味でも、試験的にではあるが、今日行った勉強会は面白い効果がありそうだね。
自分自身も、サッカービジネスにおいて、COJB発展において色々と考え、整理する事が出来た。
今後も定期的に行っていきたい。

By平野コーチ
posted by FCCOJB at 12:20| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月18日

スポーツマンである前に人としてどうであるか?

都田の芝グランドでの練習。まだ怪我で復帰できない選手もいるが、反面を使ったゲーム、また練習後のミーティングでのこと。

COJBではサッカーで目標を持って目指している以上、やはり実際のプレーについての話し合いだけでは収まらない時が常にある。

それは今も昔も変わらない。
一緒に目標を持っている仲間が不可解な行動や言動をしていてそれを見て見ぬふりをしていた時に、その行為をした本人だけでなく、結局自分にいい結果は生まれないことが多い。

より、もの事に対してストイックで真剣なだけに生まれるごく自然な討論なのかも知れない。心の内に溜めずに言いたいことをはっきりとぶつける。こんな環境は、社会に出たときに果たして自由にできるものなのであろうか?と考えた時に今だからこそ、今しかできないことを徹底して追い求めて、自分達自らお互い、ぶつけ合い、刺激し合い日々奮闘して行くことで人間的成長も促すことができるものだと思う。

刺激のない環境にいくらいても、成長は中々促すことはできない。
どんな人間でも何かしら刺激を求めて普段生活しているはず。
また自分は刺激が必要であるということをあまり気づくことができない場合もあると思う。

ただ少なくてもスポーツの世界で生きていこうとする人間であれば、常に刺激を追い求めて日々奮闘していくのはこぐ普通のことだ。

「お前どうなんだ?おかしいと思わんか?」という具合にね。
COJBで歴代、目指して来た者達はこれらを懐かしく思うだろう。

自分の弱い部分に触れられた時、中々素直にそれを受け入れることができない自分がいるに違いない。
1対1で個人的に言われる時、周囲の前でそれを指摘された時などとかく人間は、周囲と自分の立場を比較して、その受け答えに対して自ら壁を作ってしまうこともある。

自分が面前で恥をかいていると思い、その問題視されていることはさておいて己を取り繕うと必死でもがく。だが、そんなことは周囲からすれば何も面目を保ったことにはならにない。却って恰好が悪い人間に映るのだ。要は「見苦しい」ということになる。

自分で自分に気づいている部分とそのような局面にさらされないと中々気づくことができない場合も多々ある。

チームを引き締めていかなくてはならない時に今のメンバーで誰が引き締めていくのか?という事柄は何もチームのキャプテンという人間だけがやるものでもない。

その気のないプレー、闘う姿勢を見せない選手に対して容赦なく、指摘の言葉が入るのは極自然のことなのだ。
「いいよ、いいよ、次々!!」と流され、ごまかされる世界であるなら草サッカー、アマチュアチックな世界丸出しなのだ。

次なんてないの。今、その時、その時を必死で打ち込めない、闘えない奴に明日、次なんてない。

そんな話をするチームメイトの話を人事のようにニヤニヤする者に対してメスが入った。
「お前、何ニヤニヤしているんだ?」
明かに態度として「自分はやっているし・・・」というものが露骨に出ているが全然やっている内に入らない。

「何で人がお前に対して真剣に話をしている時に、お前はストレッチを続けている?」と繰り出すと当事者は「痛いから・・・」と繰り出す。指摘されてストレッチを止めると、今度は両腕を地面につけてふんぞりかえって話を聞いている。

明らかに、自分の非を謙虚に受け止めているような態度には見えない。挙句、「お前、今何を言われているのか解るか?」という言葉に「何をいっているのか解らない」と全く自らの非を受け止めようとしていない。

誰が締めるか?なんていう義務はない。ただ結局、自分が飛躍していける環境でなくては意味がないというものなんだ。

仲間が身体を張って奮起している姿に何も感じずに相変わらず、気のないプレーを連発している奴は本来、ピッチから出されるのは当たり前。そのことを流し、曖昧に処理するスタイルの中で何時間、事を進めても進歩などない。

何度も気のないプレーしている人間に「おい、どういうつもりだ!!」という指摘に対して「なんだよ」とやり返すのはいい。

で、次のプレーは?と拝見するとやっぱり気のないプレー。
えっ?今のやり返しは言われた「反動」か?指摘されたことに対してただ、むかついただけ?

次の瞬間、目を覚まし、奮起するならそのやり返しもいいだろう。
だが、次の瞬間奮起できない人間は「言われたから、カッとなって言い返しただけ」という発展性のないものになる。

人から自らのために指摘してくれている人間がいるのに、話を聞く態度、謙虚に構える姿勢がない者はスポーツマンである前に、一人の人間として疑われても仕方のないこと。

これは一般社会でも同じこと。それがただサッカーの世界になっただけだ。

真剣にサッカーを目指すということはこういうことではないか?
それが例え、プレーヤーとしてプロレベルに到達しなくても、それをやったことで、人間が磨かれる。互いに真剣であめからこそ、成立する世界だ。

大きなことを考えている者が、小さな集団もまとめることができないで何ができる。

そんなことをお互い刺激しあうサッカーチームがあってもいいだろう。サッカーに対する考え方が成熟していくことを願う。

またそれを見て、同じように闘う姿勢を身に付けていく下の年代の選手もサッカーというものの考え方をもう少し角度を変えて考えていけるようになって欲しいと願う。

COJBにも素晴らしい先輩達は割りと多い。
posted by FCCOJB at 01:48| Comment(3) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月09日

実質の練習時間を長く

チーム練習に割ける時間はチーム事情にもよりますが、多くのチームは2,3時間といったところでしょうか。
選手の集中力や体力の問題、グランドの問題などで、一回で5〜6時間という長時間練習するチームはないと思います。

では、限られた練習時間の中で、実質本当に有効な練習をしている時間はどれぐらいでしょうか?

列に並んでいる時間、休憩時間を入れるとだいぶ短くなりますよね。
だからこそ、一回のプレーを終えて帰る時、列に並んでいる間など、集中を完全に切らさない事、常に試合を意識してプレーする事が大事です。

列に帰る途中、シュートのこぼれ球が転がってきたら?
並んでいる間、味方のパスミスが転がってきたら?
そこでただ単に止めてしまうのでなく、自分がシュートを打ったりカバーしたりする事で、自分自身も練習になりますし、チーム練習自体も流れができ、より試合に近いものになっていきます。

今日のFCの練習では、こぼれ球が流れたり、一回ミスが出て違う動きになったにも関わらず、強引に言われたプレーを続けようとしてなかなか試合に近い動きになっていきませんでした。

きっちりとした型を何回も反復する事はもちろんいい練習で、レベルが高ければ高い程その精度が高いものですが、プロを目指すという今のレベルであれば、一回ずれが出た時に素早く修正しにいく事も試合の状況に近くなり、いい練習になるものです。

流れを切らない事で、一回のチーム練習に対する実質の練習時間が長くなれば、それだけその選手、チームが伸びて行く時間が増えます。
その状況に近づいていく為、選手も指導者も常に集中して練習に臨まなければいけませんね。
posted by FCCOJB at 13:41| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月01日

カピトンの器

カピトンとはポルトガル語で「キャプテン」という意味となるが、様々なクラブ、部活動などにもキャプテンはいると思う。
しかし、実際にはどういった人間がキャプテンとしての器を兼ね備えているのであろうか?

今日のFCの練習ではこんな一面があった。
週明けのFCの練習は基本的にフィジカルトレーニングが主。
今日のフィジカルトレーニングは走り込を重点に行い、走る前、走った直後、休息後(30秒間)に脈拍を測定し、どれだけ回復して行くかも計測した。

その前にアップも含め、20分間走を行ったが、個々に走るのではなく、3人組のグループで実施。
決して遅いメンバーに合わせるわけでなく、お互いに刺激しあって、走る事が目的。
20分間走といっても、もちろん、最初っから飛ばすわけではなく、半分くらいまでは慣らしも含めて軽く走り、徐々にペースを上げて行くわけだが、あるグループでは20分終了後に3人がバラバラとなってしまった。
何故、ばらばらになったのかの理由を訪ねると、
「遅すぎる。あのペースでは全く意味がない!」と憤慨する選手と、
「最初っからペースを上げ過ぎだ!そんな自分勝手な奴には誰も付いていくわけがない!」と言い争う選手がいた。
もう1人の選手は足の違和感を訴えて来たので、私が途中で走るのをやめさせたが、この2人の言い争いはどちらの意見もある意味正当。

決してだらだら走る事がないよう、3人組と言うペアを組み、コンディションが悪い選手は必死に喰らい付いていかなければならないし、逆にコンディションの良い選手は下を引っ張っていかなければならない。
ここにもキャプテンとしての器を試させる事が出来るだろう。

ようは、しっかりとしたコミュニケーション、様々なコンディションいある選手の状況を把握し、まとめあげることも重要な役割。
コンディションが良いからといって先走った選手はキャプテン候補に名を連ねてはいたが、極端すぎる考え方が修正できなければチームをまとめていくのは難しいだろう。

もちろんキャプテンにも色々なタイプがあり、一概にどれが素晴らしいとは言えないが、やはりチームをまとめる事が絶対条件。

COJBのOBにはこんな選手もいた。
ある試合の時に選手達のプレーが悪く、チームの雰囲気も徐々に悪化。ベンチからプレッシャーとなる言葉が響く試合。
そんな試合でキャプテンの選手は監督に向かって「試合をしているのは俺達なんだから黙っててくれ!」と言い放った。その結果、選手達の動きに多少のゆとりが生まれたのだが、ハーフタイムでそのキャプテンから「試合をしているのは俺達だが、試合の状況を良く見えているのは外の人間だ。何でその意見を聞かずに勝手にミスをし、自分達で雰囲気を悪くするんだ!」と今度は選手達を一喝。

その選手の考えでは、試合中の選手達の動きを冷静に判断し、ベンチに対して黙らせた方が得策と考えたのだろう。

もちろん、上記の文章だけで見ればベンチの声掛けが悪いんじゃないの?という印象を受けるかもしれないが、凡ミスに対しての叱咤。

ようは、選手、監督の間に立ち、どんな状況においても最善であろう考えを常に持っている事も大事な要素。
もちろん、監督に対しての反抗的な言葉は決してOKではないが、やはり状況に応じては選手を代表して意見する事も重要。
COJBでは選手育成の中で、そういった部分に対しても指導している。これがプロのクラブであれば、罰金か、干されるか、戦力外通告を受けるかなどの厳しい処遇があるかと思うが、選手の前に1人の人間としての器を磨いていく上でも時には重要な事。

COJBでも歴代のカピトンはサッカーで培った事を活かし、今では立派な社会人として活躍している。

名前だけのキャプテンではなく、人間味のある真のキャプテンシーを身に付けてくれ!
posted by FCCOJB at 21:31| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする